東日本大震災。もう二年。
2013年 03月 12日
池袋で今日も頑張る不動産鑑定士( ^ー゚)
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あれから2年。本当にあっという間でしたね。
全国への避難者は315,196人。
具体的な復興計画があっても、被災者の方たちが復興していると実感するまでには至っておらず、多くの方たちが将来に不安を抱えています。
目を閉じると、支援活動や無料相談会を通じて今までお会いした方々の顔が浮かびます。
震災当日はメールや電話が使えず、大切な人や社員にも連絡がつきませんでした。
テレビをつければ目を覆いたくなるようなニュースばかり。。。
(宮城県石巻市)
夜の街を歩けば都内とは思えない暗さで、人通りも激減しました。
(当時の銀座)
都内にいるのに、水や食料品の買い占めが起き、原発に絡んではデマ情報が飛び交いました。
いつも冷静な人に限って、遠くへ旅行?に行っちゃったり。。。
人としてどう行動するか、試されていた気がします。
(東京ビッグサイト避難所)
震災を通じて「専門家って何だろう?」と改めて考えさせられました。
無力で、非力で。
困っている人たちのために具体的に何ができるのかと。
(東京武道館避難所)
約16,000人もの命が奪われ、不動産は壊滅的な被害を受けました。
人として何ができるか。
他の専門家の方たちと被災者の方に寄り添う活動を中心に行いました。
(味の素スタジアム避難所)
僕の母の故郷であり、幼少期を過ごした福島の方々が大変な思いで東京におられました。
話しはじめて暫くすると、当時のことを思い出されて涙を流され、母方の親類と同じ懐かしいイントネーションにつられて、僕も一緒に泣いちゃいました。
(赤坂プリンスホテル避難所)
無力さを感じて、立ち止まりそうになりました。
いや。立ち尽くしていました。
(宮城県多賀城市)
自分の母親の墓でさえ倒壊し、埋葬しているお寺でさえも被災しました。
人として何かできないか。
自分自身を奮い立たせて被災者の方に寄り添っていても、時には理不尽な怒りをぶつけてくる方もいて、心が折れそうになることもありました。
(宮城県七ヶ浜町)
自らの所属する不動産鑑定士協会、宅地建物取引業協会では見てきたこと、感じたことを訴え続けました。
(被災3県における復興協議会)
一番心が折れたのは、自分の仲間であるはずの同業者達のことば。
「被災地に行くと儲かるの?」
「余計なことはするな」
「いいね。ボランティアできる余裕があって。」
怒りを通り越して呆れました。
(東京都市区町職員向けの都市復興模擬訓練)
都内各所で行われる無料相談会、国土交通省とのワーキンググループ等多くの会務。
連日のオーバーワークと休日を費やしたボランティア。
(木造密集地域における地域住民向けの震災復興まちづくり訓練)
身体は正直に反応して、体調不良には長く悩まされました。
(東京都庁にて行われた災害復興まちづくり支援機構の首都直下型地震に備えるシンポジウム)
「もう疲れちゃったよ。」
そんな時には、何歩も先を歩いている災害復興まちづくり支援機構や阪神淡路まちづくり支援機構の皆さんに励まされ、或いは背中を叩いて気合を入れてもらいました。
(災害復興まちづくり支援機構の仲間たち)
無力さを感じても、継続して関心を持ち続ける。
何ができるか?ではなく、人として少しでも支援したい。
その気持ちを大切にしています。
(大船渡市碁石地区復興協議会)
上を見ればきりがなく、下を見てもきりがない。
目を凝らして横を見れば歯を食いしばって頑張っている仲間がいる。
(東京の10士業よろず相談会実行委員会)
立場や肩書きにとらわれることなく、危機意識をもって首都直下型地震を迎え撃とうとする同志もいる。
(台東区災害ネットワーク専門職会議)
日夜住民のことを考え、故郷のために、家族のために必死になっている人たちがいます。
(角田大船渡市副市長と)
被災地にも少しずつ明るい希望が見えてきていると僕は信じています。
(被災家屋の庭石であそぶ子供たち)
自分にできることを、自分に出来る範囲で。
頑張りたいと思います。
(陸前高田市奇跡の一本松)
不動産鑑定士 佐藤 麗司朗
仕事も遊びも一生懸命。
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