必然と運命の間
2007年 02月 14日
みなさんは必然的な出会いと運命的な出会いの違いをどう考えますか。
必然的な出会いとは、当事者の行動がある一点に向かって集約されるものであり、その一点を通る以外の方法がないという意味で、避けられないものです。一方、運命的な出会いとは、偶然の産物と言ってよいでしょう。
したがって、これらが神の手に委ねられたものであるか否かは別として、確立として論じることができます。出会いを数式で表しますと・・・zzz・・・。
おはようございます。今日は愛情について考えてみたいと思います。
みなさんは情熱的な愛情と盲目的な愛情の違いをどう考えますか。
情熱的な愛情とは、内なるエネルギーが行動を引き起こすものであり、その感情そのものが幸福なのです。一方、盲目的な愛情とは、行動から得られる至福感に起因すると言ってよいでしょう。
したがって、これらが理性のもとにあるか否かは別として、ホルモンの働きとして論じることができます。愛情を化学式で表しますと・・・zzz・・・。
こんにちわ。今日はプレゼントについて考えてみたいと思います。
みなさんはサプライズのあるプレゼントとハプニングのあるプレゼントの違いをどう考えますか。
サプライズのあるプレゼントとは、受け取ってから開封するという一連の手続きの結果であるという意味で、事後的なものです。一方、ハプニングのあるプレゼントとは、手続きの過程にあると言ってよいでしょう。
したがって、これらの驚きの程度は別として、手続きにおける反応として論じることができます。プレゼントを儀式で表しますと次のようになります。
透視×念力×瞬間移動
包装されているにもかかわらず、人は中身を透視しようとします。ここで重要なのは透視と勘を見極めることです。これまでの私の経験から透視を成功させた人は数えるほどしかいません。透視により周りにサプライズを与えることもありますが、その人が透視できることを知っていれば驚くことはありません。
次に人が試すのが念力です。透視できないと重さから中身を推測します。この時点で判断がつかないと、宙に浮かせて相手の反応をうかがいます。しかし、たいていの人は念力を使えないため、放り上げるという行動をとります。ここで中身が取扱注意だったり、落としてしまうことで台無しにすることがあります。この過程でハプニングが生じるのです。
ここまでで何もないと、最後は隠れてプレゼントを開封しようとします。なぜ表情を隠すのでしょうか。できもしないのに、瞬間移動ができたらと考えたりします。
これまで見てきましたように、出会い、愛情、プレゼントは式で表すことができます。ただし、必ずしも等式が成り立つわけではないことだけは覚えておいてください。
今日の講義はここまで。
(千葉 康広)
私は今日、女性なのにチョコをもらってしまいました。
毎年なんだよねぇ…
どこから見ても女なのになぁ(苦笑)
今年は私にもチョコが巡ってきました、孫から、これって必然的出逢いですね(笑
14日だったので、こういう文になりましたが、肝腎なのは17日が38回目の誕生日ということです。
「プレゼント」がメインテーマです。ということで、私のカバンには「たくさん」余裕があります。